子どもたちの読書の時間: 4 分
シラミとノミが一緒に所帯をもち、卵の殻でビールを作っていました。するとシラミが中に落ちてやけどをしました。これを見てノミが大声で悲鳴をあげました。
すると部屋の小さい戸が言いました、「ノミさん、どうしてわあわあ言ってるの?」「シラミがやけどしたから」それで小さな戸はギイギイきしみだしました。
これですみの小さなほうきが言いました、「どうしてギイギイきしんでるの?」「ギイギイきしまないでいられない。シラミがやけどした。ノミが泣いている。」それで小さなほうきは、やみくもに掃きだしました。
すると小さな荷車が通りかかり、言いました。「ほうきさん、どうして掃いてるの?」「掃かずにいられない。シラミがやけどした。ノミが泣いている。小さな戸がギイギイきしんでいる。」すると小さな荷車は「それじゃ僕は走ろう。」と言って気が狂ったように走りだしました。
それで荷車が走ったそばにいた燃えがらの山が言いました、「荷車さん、どうしてそんなに走ってるの?」「走らずにいられない。シラミがやけどした。ノミが泣いている。小さな戸がギイギイきしんでいる。小さなほうきが掃いている。」燃えがらの山は「そんじゃ私はぼうぼう燃えよう。」と言って明るい炎になって燃え始めました。
燃えがらの山の近くの小さな木が言いました、「燃えがら山さん、どうして燃えてるの?」「燃えずにいられない。シラミがやけどした。ノミが泣いている。小さな戸がギイギイきしんでいる。小さなほうきが掃いている。小さな荷車が走っている。」小さな木は、「それじゃ私は揺れましょう。」と言って、揺れ出したので葉っぱがみんな落ちてしまいました。
水がめを持って近づいてきた女の子がそれを見て言いました、「小さな木さん、どうして揺れてるの」「揺れずにいられない。シラミがやけどした。ノミが泣いている。小さな戸がギイギイきしんでいる。小さなほうきが掃いている。小さな荷車が走っている。燃えがら山が燃えている。」これを聞いて女の子は「それじゃ私は水がめを割ってやろう」と言って小さな水がめを割りました。
すると、水がわき出る小さな泉が言いました。「お嬢さん、どうして水がめを割ってるの?」「水がめを割らずにいられない。シラミがやけどした。ノミが泣いている。小さな戸がギイギイきしんでいる。小さなほうきが掃いている。小さな荷車が走っている。燃えがら山が燃えている。小さな木が揺れている。」
「あ、はは、それじゃ私は流れよう」と泉は言い、猛烈に流れ出しました。それでその水に溺れてみんな死にました、女の子も、小さな木も、燃えがらの山も、ほうきも、小さな戸も、シラミも、みんな一緒に。

背景情報
解釈
言語
この物語は、グリム兄弟によるメルヘンの一つで、「しらみとのみ」が登場します。この物語では、シラミとノミが一緒に生活をしていて、ある日シラミがビールの中に落ちてやけどをしてしまいます。それをきっかけに、ノミが悲鳴を上げ、その悲鳴が他の物たちに影響を与えていく様子を描いています。
この物語の特徴は、連鎖的な反応が引き起こされるところです。一つの出来事(シラミのやけど)が最初に起こり、それに対するノミの悲鳴が、次々と周囲の物たちに影響を与え、それぞれが自分のできる行動を起こしていきます。最終的には、すべての登場人物や物が一緒に滅んでしまうという結末を迎えます。
このような物語の形式は、しばしば童話や昔話で見られ、単純な出来事が予期せぬ大きな結果を引き起こす様子を描くことによって、読者に教訓を与えたり、ユーモラスな要素を提供したりすることを目的としています。そこには、非論理的でありながら、人間の感情や行動を寓話的に表現する意図が込められていることが多いです。
この物語は、グリム兄弟の「しらみとのみ」という作品です。物語の筋書きは非常にシンプルで、連鎖的な反応を描いています。一つの出来事が次々に影響を及ぼし、最終的にはすべての登場人物(または物)が悲劇的な結末を迎えるという寓話的な構造を持っています。
この話の解釈にはいくつかの可能性がありますが、いくつかの視点を以下に示します:
原因と結果の連鎖: 一つの小さな出来事が連鎖的に大きな影響を及ぼすことを示しています。この視点では、物事が予期せぬ方向へ動き出すと、歯止めが効かなくなる可能性を伝えています。
過剰反応とその影響: ノミの悲鳴が次々と不合理な行動を引き起こし、最終的に全てが破滅に至るという点で、過剰な反応やパニックが及ぼす悪影響を示唆しています。
無意味な悲劇: この話は、一見無意味で悲劇的な結末を迎えます。これは人生の不条理を表しているとも解釈できます。特に子ども向けに語られることが多いこの種の物語では、「世の中には理解しきれないこともある」というメッセージを伝えることがあります。
この物語は、単に子どもたちへの教訓を与えるためのものというよりも、物語の不条理さや、一連の反応の面白さを楽しむ内容になっています。
「しらみとのみ」は、グリム兄弟による短い寓話の一つで、この物語は一種の連鎖反応を描いています。物語の構造とメッセージについての分析を以下に示します。
構造とプロットの分析
始まりの出来事: シラミがビール作りの最中に火傷をします。これが物語の発端となり、すべての出来事がここから連鎖的に展開します。
連鎖反応: シラミの火傷をきっかけに、ノミが泣き出します。その叫びに対して周囲の物が反応し、次々に異なる行動に出ます。具体的に言うと、小さな戸がきしみ、ほうきが掃き、荷車が走り出し、燃えがらの山が燃え、小さな木が揺れ、女の子が水がめを割り、最終的に泉が流れ出すという連鎖が続きます。
結末: 最後に、流れ出した泉の水ですべてが流され、登場人物と物たちはみんな死んでしまいます。
メッセージとテーマ
因果関係と連鎖: この物語は、小さな出来事が予想外の結果を招くことを示しています。一見些細に見える出来事が、複雑に絡み合った因果関係を生み出し、大きな影響を及ぼすことがあります。
無力さと運命: 登場人物たちは、次々と起こる出来事に振り回されており、運命に抗うことができず、最終的に全員が死に至ります。これは、人間の無力さや運命に対する不安を象徴しているかもしれません。
コミュニケーションと誤解: 各キャラクターは、前の出来事に対する反応として行動しているため、情報が正確に伝わることなく誤解が積み重なります。このことが、物語全体の混乱を助長しています。
このように、「しらみとのみ」は非常にシンプルな構造の中に、深遠な哲学的テーマを含んでいると言えるでしょう。